名護の七曲りの入り口に許田と言う部落があります。この部落の北側の森に川があります。昔、首里から山原へ向かう一人の侍がいました。許田部落へさしかかった時、ノドの渇きを覚えたのでどこかに井戸はないものかと近くの人に訪ねた所、近くにある川を教えてもらいました。
ノドもとても渇いていたので急いで川へ足を運ぶとそこには、目を見張るような美しい娘がいて水を汲んでいました。侍は、

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沖縄で魚介類の養殖業は、カッチンバーマが、先駆者だと言われています。
昔、首里王府は、魚類の年貢上納を各村の漁村に頼っていました。ある時、六ヶ月間も雨が降り続いたため海が荒れて漁に出れられず王府への上納が、出来ませんでした。
ところがカッチンバーマのいる村だけは、この上納を期限通りに完納していました。

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バーマは、民を助ける為におもしろい頓知を考えました。池の工事に参加している自分の村人達に『勝連バーマ!金持ちデンドー』(カッチンバーマは金持ちだぞー)と言う歌を歌いながら工事をするように言いました。
言われたとおり村の工事人達は、クワの打ち込みや土を運ぶ時にこの歌に調子を合わせて工事を続けました。人を喰ったようなこの歌に他の村の工事人達は、けげんな顔をしてバーマ達をチラチラ見ていました。
やがてこの歌が王様の耳に入りました。王様は、バーマを呼び『そちは、金持ち!という歌が流行っているそうだが、いくら位の金を持っているのか』とバーマに尋ねました。
バーマは、ニコニコして『馬に積めないほど持っています。』
と言うと王様は、ビックリして『では、馬に積んで来て見せてみよ!褒美には、そちの望むままの米を与えよう』と言いました。

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今から約300年位前に前浜 三良(まえはま さんらー)と言う人がいました。人々からは、勝連バーマ(カッチンバーマ)と呼ばれていました。バーマは、けた外れに頭が良く頓知も良く働く人だったそうです。
尚穆王(しょうぼくおう)の頃、首里王府では、中国から来る冊封使をもてなす為に池でハーリを行う事になり池を大きくする為の工事をする事になりました。この為に工事人を各部落から差し出す様に役人から指令が出ました。
バーマも勝連から工事に参加する人を連れて池に向かいました。現場に到着したところ役人達は、カンカンになって怒っています。

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昔、宮古伊良部島の漁師が『よなまた』と呼んでいる魚を釣って来ました。この魚は、顔、形が人間にそっくりで、珍しい魚でした。漁師は、明日、隣の人たちも呼んで食べようと炭火をおこしあぶり台に乗せて乾かしていました。
その夜、人々が寝静まった頃、隣の家の子供が、『伊良部へ行こう・・・』と泣き出しました。

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